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0707-543号 【情報】 がんを生きる:/74・75 専門看護師への道/上下 [kensa-ML NEWS 【情報】]


 今日も湿度の高い非常に不快な朝を迎えておりました[あせあせ(飛び散る汗)]。今晩のお天気が気にかかるところですが・・・皆さんもよくご存じのように、今日は七夕[ぴかぴか(新しい)]。七夕にゆかりの記念日が目白押しです。しかしまぁ、こじつけで色々とあるもんですねぇ。

七夕 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%83%E5%A4%95
 起源:日本古来の豊作を祖霊に祈る祭(お盆)に、中国から伝来した女性が針仕事の上達を願う乞巧奠(きっこうでん/きこうでん)や佛教の盂蘭盆会(お盆)などが習合したものと考えられている。そもそも七夕は棚幡とも書いたが、現在でもお盆行事の一部でもあり、笹は精霊(祖先の霊)が宿る依代である。

小暑 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%9A%91
 小暑(しょうしょ)は、二十四節気の1つ。または、この日から大暑までの期間。一般的な定気法では、太陽黄経が105度のときで7月7日ごろ。恒気法では、冬至から197日目で7月7日ごろ。梅雨明けが近付き、暑さが本格的になるころ。六月節。暦便覧には「大暑来れる前なればなり」と記されている。蝉が鳴き始める。小暑あるいは大暑から立秋までの間が暑中で、暑中見舞いはこの期間内に送る。小暑の終わりごろに夏の土用に入る。

浴衣の日 http://www.nnh.to/07/07.html
 日本ゆかた連合会が1981(昭和56)年に制定。七夕の日、女の子は色の附いた糸を結び、7本の針と瓜を供え、裁縫の上達を祈り、衣類に感謝していたという中国の故事に因んで。若い人たちにも、ゆかたの美しさを見直し親しんでもらうきっかけにしてもらおうという狙いもある。

乾麺デー:
全国乾麺協同組合連合会が1982(昭和57)年に制定。七夕の日に、素麺[そうめん]を天の川にみたてて食べる風習があったことから。

ギフトの日:全日本ギフト用品協会が1987(昭和62)年に、同協会が社団法人化されたことを記念して制定。七夕は牽牛と織女が年に一度出会う日ということから。

カルピスの日:1919(大正8)年のこの日、ラクトー(現在のカルピス)が乳酸菌飲料のカルピスを発売した。

香りの日:全国化粧品小売協同組合連合会中部ブロックが1991(平成3)年に制定。七夕に因んで「化粧品を買ってプレゼントしよう」と販売促進の為に提唱した。

スリーセブンデー:日本遊技機工業組合が1995(平成7)年に制定。

冷やし中華の日:この日が二十四節気の「小暑」となることが多く、夏らしい暑さが始る頃であることから。

ポニーテールの日:日本ポニーテール協会が1995(平成7)年に制定。7月7日が「七夕」「ゆかたの日」であり、ポニーテールが浴衣に似合うこと等から。

世界遺産の日 [和歌山県]:2005(平成17)年3月に和歌山県で制定された「世界遺産条例」で定められた記念日。2004(平成16)年のこの日、「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界文化遺産に登録された。


 さてまずは今日のコラムから。今朝各社のコラムなどを読んでいると、梅棹忠夫さんに関する記事が非常に多いのです。恥ずかしながら私は梅棹忠夫さんを存じ上げなかったもので、記事を検索してみました。非常にユニークな発想というか、既存のものに捉われない先見のあるスタイルは逸品ですね。また86年に失明された後も執筆活動は衰えを見せることが無かったとか。日本には凄い方々が多数おられるものです。ご冥福をお祈りいたします。合掌。

余録:梅棹忠夫さん 毎日新聞コラム 7/7
 
http://mainichi.jp/select/opinion/yoroku/index.html?link_id=OE001
 1960年代のことだ。亡くなった民族学者の梅棹忠夫さんは「ヨーロッパ探検」の学術調査費を文部省に申請した。だが「ヨーロッパは探検の対象ではなく、学びに行くところだ」と文部省はいう
▲梅棹さんが「ならば、フランスのお百姓が、どんな家に住み、どんな服を着、どんな物を食べるか知っているのか」と聞くと誰も知らない。申請は認められた。「探検」は西欧文明による未開地域の一方的な博物誌作りだと多くの人が思いこんでいた時代のことである
▲「私は人類最後の探検家だ」と梅棹さんは言っている。学生時代にまだ地図上で白紙だった大興安嶺探検に加わり、その後アジア、アフリカをはじめ南極を除く世界全大陸で調査・研究を重ね、気がつけば地球上から空白の土地が消失した21世紀を迎えていたからだ
▲注目を浴びた「文明の生態史観序説」が生まれたのはアフガニスタンからインドを横断した調査行での米国人学者との議論からだった。西欧中心の進歩史観にがんじがらめとなった戦後日本人に、生態学の発想をもとに文明が並行発展する世界史像を示したのである
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梅棹忠夫さん死去:自由な発想で業績 激動の社会を予見 毎日新聞 7/6
 
http://mainichi.jp/select/person/news/20100706k0000e040063000c.html
 常識にとらわれないユニークな発想で、民族学・文化人類学から文明論まで幅広い分野に独創的な研究を残した国立民族学博物館(民博)顧問の梅棹忠夫さんが3日、90歳で生涯を閉じた。激動の20世紀にあって、21世紀の今日の世界を梅棹さんほど見事に予見した学者はいないだろう。
 もともとの専攻は動物学。大量のオタマジャクシを水槽で飼って、動きを数理解析した論文で理学博士号を取得した。戦前、調査に訪れたモンゴルで家畜の群れを見て、どういう法則で動いているのかと考えたのがきっかけだった。
 そのユニークな着想は、理系から文系に転じた後、壮大なスケールの比較文明論として結実した。それが現地調査と詳細なデータ収集に基づいていることは見逃せない。
 「戦後提出された最も重要な世界史モデルの一つ」と評された「文明の生態史観序説」(1957年)は、55年にカラコルム・ヒンズークシ学術探検隊の一員としてアフガニスタンなどを訪問し、イスラム文明とヒンズー文明に接したことによって生まれた。
 「情報産業」は梅棹さんの造語で、「情報産業論」(63年)は現在の情報化社会を予見する世界で初めての論文だった。
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 さてここからは医療関連ニュースとなります。

 日々進化していくiPS細胞ですが、このところの進化にはちと私のしょぼい頭ではついていけません。何となく雰囲気は分かるのですが、他人に説明できるほどのレベルでもなし・・・もっともそのようなレベルでしたら、研究に加わっているだろうと思いますが。とにかく安全にiPS細胞を制御することが現時点における最大課題で、今後様々な制御方法についての知見が重ねられることでしょうね。

 とにかくこれまでの治療方法の固定観念を全く覆してしまうiPS細胞。どこまで進化するのか、本当に楽しみですね。

脊髄損傷:安全なiPS細胞移植…マウスの運動機能回復 毎日新聞 7/7
 
http://mainichi.jp/select/science/news/20100707k0000m040122000c.html
 腫瘍(しゅよう)にならない人工多能性幹細胞(iPS細胞)を選び、脊髄(せきずい)を損傷したマウスに移植、運動機能を回復させることに、岡野栄之・慶応大教授と山中伸弥・京都大教授の研究チームが成功した。iPS細胞はさまざまな組織や臓器の細胞になり、再生医療への応用が期待されているが、腫瘍を作る危険性があった。米科学アカデミー紀要(電子版)で発表する。
 研究チームはマウスの脳にiPS細胞を移植し、半年たっても腫瘍を作らなかったiPS細胞を選んだ。次に、さまざまな神経細胞になる神経幹細胞に変化させ、脊髄が損傷したマウスに損傷9日目に50万個移植すると、だめになった後ろ脚を使って歩いたりできるまでに回復した。
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 次は臓器移植の新連載。改正臓器移植法施行までカウントダウン段階にきました。あまりというか殆ど触れられていませんが、メンタルケア―の方面は整備できているのか、非常に疑問ですね。関連するニュースを見ていても体制的なことばかり。移植に際しての私の経験では、ドナー側もレシピエント側も大きな不安を抱え、心の中で様々な葛藤があり、非常に苦しいという印象が強いのですが、このあたり、コーディネーターが非常に活躍しています。しかしその方々の実数は非常に少なく、精神的なプレッシャーと物理的な状況が重なり、本当に多忙な日々を過ごされています。こういったメンタルケア―も今後大きな整備すべきところでしょうね。

臓器移植 あなたの隣に:1 夫の気持ち 確信があった 朝日新聞 7/6
 
http://www.asahi.com/health/ikiru/TKY201007060268.html
 梅雨に入り、庭にあるアンズの木の緑が、日に日に深く濃くなってきた。夫が大切にしていた木は、この春も淡いピンクの花をたくさん咲かせた。  亡くなったその年から突然、花を咲かせるようになった。愛知県の女性(56)は不思議に思う。
 夫は当時57歳。くも膜下出血だった。入院先の病院で脳死と判定され、肝臓と腎臓を3人に提供した。移植を受けた患者が元気にしていると聞くと、良かったと思う。
 夫がいまもどこかで生きている、という感覚とは少し違う。夫はもういない。ただ、多くの人がかかわった「臓器移植」が成功したことが、うれしいと感じる。
 今月、改正臓器移植法が施行される。本人の意思がわからなくても、家族の承諾だけで脳死からの臓器提供ができるようになる。
 「うちだったら、どうしただろう?」。長女(28)と、時々話す。
 夫が意思表示カードを持って帰ってきたのは、1999年2月。臓器移植法の施行後、最初の脳死臓器提供があったころだ。
 「こうして書いておけば、病気で困っている人の役に立てるんだ」
 心臓、肺、肝臓、腎臓、……。すべての臓器に○をした。女性も、当時まだ10代だった長女と次女(26)、長男(24)も、同じように○をして、互いに署名jしあった。
 夫婦と子ども、祖父母、曽祖父母の4世代が一緒に暮らす旧家。先祖代々の墓がそばにあり、居間には大きな仏壇がある。生も死も身近な環境で、子どもたちは育った。
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 さて本日のメインニュース。

 当院でも現在、約半年間の「がん看護専門看護師」研修に行かれている方がおられます。帰ってこられたらゆっくりお話を伺いたいと思っていますが、この認定制度、何故、日本看護協会なのでしょうか?知識的にも技術的にも本当に優れた方が
多いのに、学会レベルの認定制度で無いため、他職種からは殆ど見えてこない部分です。各種認定制度が充実している看護部門ですが、その点が非常に残念。また今後のことですが、海外に向けての認定資格、いわゆる国際認定についての将来的な展望はどうなのでしょう?この点についての動向などは当院でも教育を担当されている方がおられますので、後日ゆっくりとお伺いしようかなぁなんて思っています。

 記事の中でも触れられていますが、私は接着剤なんてくっつけるだけのものではなく、混合して新たなものを創生するということを念頭に置いてもらいたいなぁと思っています。接着だけなんてもったいない。

【毎日新聞社ニュース 2010/06/29】
 がんを生きる:/74 専門看護師への道/上 今の自分は何かが足りない /大阪
 
http://mainichi.jp/area/osaka/ikiru/news/20100629ddlk27040381000c.html
=================================================
◇病院を休職、退職し阪大大学院で学ぶ--患者に寄り添う最適なケア求め
 看護師としてがん患者をケアする中で「今の自分では何かが足りない」と感じ、日本看護協会の認定資格「がん看護専門看護師」(OCNS)を取得すべく大学院で勉強する人たちがいる。大阪大学大学院医学系研究科保健学専攻「OCNSコース」(7人、吹田市)を紹介する。
 大阪市内の総合病院の呼吸器内科で5年間働き退職した1年、安田千香さん(28)=豊中市=の学ぶきっかけの一つは、2年前のある肺がん患者だった。
 40代のその男性は、病状が悪化して息が荒くなっても「酸素吸入は死への第一歩。できるだけ頑張りたい」と酸素マスクを拒んだ。安田さんは「楽になりますよ」と勧めたが男性は固辞。安田さんは看護師として、患者の生き方を尊重したい思いと、苦しさを和らげたいという思いがぶつかり、どのように患者とかかわるべきか見えなくなった。男性は、結局意識が無くなるまで酸素マスクを着けずに亡くなった。
 今でも何が最善の判断だったかは分からない。ただ安田さんは「マスクを拒んだ患者さんの死への恐怖を理解し、本当に患者さんに必要で最適なケアを提供することができなかったのでは」と思う。「それを考え抜くことでもっと患者さんの理解を深めたい」
・・・続きを読むにはここをクリック
 

【毎日新聞社ニュース 2010/07/06】
 がんを生きる:/75 専門看護師への道/下 医療現場の“接着剤”に /大阪

 
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20100706ddlk27040404000c.html
=================================================
◇全国で193人、広がり不十分 医師・薬剤師含め、プロ目指し5大学連携
 がん患者のためにできることは何か--。看護師の仕事を休職、退職し日本看護協会の認定資格「がん看護専門看護師」(OCNS)を目指す大阪大学大学院「OCNSコース」(吹田市)の1、2年生7人。同協会はOCNSを「がん患者の身体的・精神的な苦痛を理解し、患者やその家族に対してQOL(生活の質)の視点に立った水準の高い看護を提供する」と定義。実際のOCNSは、仲間の看護師にがんの知識や対応を教育▽医師には話しにくい患者の相談に乗る▽がん特有の対応困難な苦痛症状をケアする▽倫理的葛藤(かっとう)について関係者間で調整--といった場面で活躍しているという。
 ただ、実際のOCNSは全国で193人、府内で16人(共に6月1日現在)。日本看護協会は「広がってきたが、まだ十分とは言えない。がん診療連携拠点病院には100%いることを目指したい」としている。
 大阪大学では、OCNS不足、緩和医療などの専門医不足、一般臨床医の知識不足などを解決しようと、兵庫県立大▽和歌山県立医科大▽奈良県立医科大▽京都府立医科大と連携し、08年に「がんプロフェッショナル養成プラン」(がんプロ)を開始。OCNSコースの他、医師や薬剤師ら向けのコースがあり、座学や病院実習で各分野の「がん医療のプロ」を目指す。
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青竹

癌を患って後、人生をどう生きるのか。
私も癌なので考えさせられます。
by 青竹 (2010-07-08 06:16) 

kaoru

こんにちは。
ご訪問下さり有難うございます。
by kaoru (2010-07-08 11:41) 

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[ひらめき] PADM(パダム):遠位型ミオパチー患者会へのご協力お願い [ひらめき]

    遠位型ミオパチーという病気をご存知でしょうか? 
    筋肉そのものに原因があって、筋力が低下する「ミオパチー」といわれる疾患の中で治療法が全くなく、
    体幹部より遠い部分から徐々に筋力が低下していく非常に重い筋肉の進行性難病です。
    100万人に数名といわれる希少疾病ですが、2008年に「遠位型ミオパチー患者会」が発足しました。
    この患者会のみならず遠位型ミオパチーという病気をより多くの方々に認知していただき、一人でも
    多くの方々に賛同していただき、患者会の目標を達成することが目標です。その一つに「難病認定」
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